ネネコ・クローネルの冒険記
〜緑光輝の迷い子〜

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序章(3)


山奥の村、カサヤは未だ冬の季節だ。
穏やかに降り積もる白い雪が、屋根も路も、人の姿も隠してしまう。

煙突から昇る煙でさえも、景色の色とひとつとなって消えていく。

しかし毎年、桜は咲く。
生命の息吹が芽生える暖かな季節を約束されているからこそ、
たとえ過酷な冬の寒さでさえも、耐える事が出来るのだ。

耐える事が出来る強い生命こそが、未来へと繋がり、受け継がれていく。

村長の民家の隣、小さな診療所に小さな明りが灯っている。
ベッドの横に座るのは赤毛の男。
眠っているのは……赤子だろうか。酷く痩せ細っていて痛々しい。

同じ赤い髪をわずかに蓄えている事から、二人が父娘だと頷かせる。
男は娘の髪を撫で、ただ黙ってその瞳を見つめた。

「……」

待っているのだ。
この子にも必ず、春が訪れる。
過酷な冬を耐えて、桜が咲く中で再び笑い声をあげる日が来る。

半開きになった瞳と口元は、焦点の定まらない様子で天井を見上げたままだ。
しばらくは静寂の中、ただ二人だけが場の時を刻んでいたが、
やがて扉を叩く音が聞こえ、金髪の女性が室内に入ってきた。

「ユウマさん、朝食の準備が出来たから……少し休んで」
「……大丈夫だ」

この数日間、幾度と無く繰り返してきたやり取りだ。
姿勢を変えず、表情を変えずに声を漏らすユウマの姿を
女医であるエナは身を引き裂かれるような思いで見つめた。

一月半前に、ユウマはこの赤子を連れてカサヤにやって来た。
古い付き合いであるエナを頼って、遠路はるばる来院したのだ。
故郷では出来る限りの手を施したというが……容態は悪化するばかりだ。

「ネネちゃん、今朝は顔色が良いね……おはよう、ネネちゃん」

しかしエナとしても、病の原因が解らず、同様に自身の力の無さを悔いた。
いまは赤子自身の生命力ひとつで延命している、としか言い様が無い。
食べ物を口にする事もままならなくなった現在、その時は迫っていた。

「私が診ているから……貴方だけでも、食べなくちゃ」
「……ああ」
「ネネちゃんもいま、頑張ってる。
ネネちゃんが目を覚ました時に、貴方が疲れ果てていたら……きっと悲しむわ」

我ながら、なんと気休めを言うのだろうか……と上手く笑みを浮かべられずに
ユウマの背に手を添え、エナは退室する事を促した。

彼女の配慮に気がつかないユウマではない。
だが、娘の前から離れる事はその時を受け入れてしまう事になるのではと、
自責とも重圧とも異なるわだかまりを、払えずにいるのだ。

「エナ、正直に答えてくれ」
「うん?」
「ネネは後、どれだけ生きられる?」

これまで一度も、口にしなかった問いだ。
ネネ、と呼ばれた赤子が来院してから、村人誰もが気にかけ、
そして知りたいと感じていた真実であった。

医師としてこれ以上何も施す事が出来無い事を誰よりも痛感しているエナは
もう隠す事など出来ない、正直に話すしかない、と決意を固め口を開いた。

「……ネネちゃんは今、食事を取る事が出来なくなってから二週間経ってる。
汗をかく量も、糞便や痰を出す量も随分と減ってしまったわ。
……私達の声に対する反応も、随分と弱くなってしまった」

彼女はゆっくりと、言葉を選びながら少しずつ話を進める。

「私が医師として、ネネちゃんにしてあげられる事も……僅かだわ。
いまはね、ネネちゃん……生きている事が不思議なくらいなの」

声を震わせ、語尾が上手く聞き取れなくなってきた。
ユウマはエナに目を移し、話の続きを待った。

「ネネちゃんは、生きたい、って……生きていたい、っていう気持ちひとつで
いま誰よりも頑張ってる。だけど私、もう何も、してあげられる事……」

駄目だ。
もう話せない。

ユウマの前では、ネネの前では絶対に涙は流さないと決めていた。
だが目の前の父娘に突きつけられた過酷な現実を前に、
遂にエナは耐えられなくなってしまったのだ。

「すまない。ありがとう、エナ」
「ごめんなさい……ごめんなさい、ユウマさん」

受け入れるしかないのだろうか。
ネネの髪を直してやり、エナの肩を抱くとユウマは共に退室した。
扉が閉まる音が雪の中に消えると、室内に再び静寂が訪れた。

ネネは……ネネコ・クローネルはただ、天井を見つめていた。
父親と同じ茶色の瞳は、何を捉えているのだろうか。

……ただ、天井を見つめているだけ、なのだろうか?

「う……あ、あ……」

掠れた声を漏らすと、口の端が少し緩んだように見えた。
僅かに開かれた瞳の奥には、微弱に輝く光が差し込んでいた。

誰が気がつく事が出来ただろうか。
ネネコ・クローネルが見つめる先には、淡い緑色の光が溢れていたのだ。
やがて光はネネコ・クローネルの身体を包み込み、強い輝きを発しはじめた。

「え……ゆま……」

カサヤにももうすぐ、春が訪れる。
桜が咲く日も、そう遠くはないだろう。


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