ネネコ・クローネルの冒険記
〜緑光輝の迷い子〜
もくじ / Prev Page / Next Page
第四章(2)
旅立ちを前にした夜晩には高揚感で胸が高鳴り、熟睡する事が出来ない。
瞑想を済ませる事無くベッドに潜り込んだ事だけが理由でもないだろう。
ネネコが目を覚ますと、深夜と呼ぶには遅く、早朝と呼ぶには早過ぎた。
浅い眠りとはいえ、夢を見る間も無かったのであろうか。
朝を待たずに身体を起こした割には、妙に意識がはっきりとしていた。
「エルマー」
部屋の窓から顔を出し、誰に届くとも解らぬ小さな声でエルマーを呼ぶ。
体躯の大きいエルマーでは家屋の中に入って一緒に生活する事は難しい。
店先に佇んでいたエルマーの瞳に光が灯り、翼を広げると二階のネネコの元に寄った。
「起こしたかな……眠れないの。一緒にお散歩に行こう」
窓の桟に足をかけると、エルマーは両腕を広げてネネコを招き入れる。
普段は左掌の上にネネコが直立し、右腕で支えた形で抱きかかえるのだが、
この時はネネコの願いもあって右肩に腰掛けさせると、ゆっくりと高度を上げていった。
夜のリル・ディスは、普段とは異なる表情を見せている。
看板を吊り下げる鉄の鎖が軋む音、丸められた紙屑を風がさらい、転がしていく音。
耳を澄ませなければ気がつかないであろう些細な音も、自然と耳に届いてくる。
明りを灯したまま朝を迎える酒場の付近では、酔い潰れた男が情けない呻き声を上げる。
ゆっくりと南下していけば、涼しい風と波が折重なる音が間もなく聞こえてくるのだ。
ネネコとエルマーは、町の南西にあるバルア大灯台を目指していた。
「サザにいちゃん」
「?……ネネコか?」
少女の呼ぶ声に気がついたサザは吹き抜けになった石壁の間から顔を出すと、
エルマーの肩に寄り添うネネコが緑色の光を振り撒きながら昇ってくる事に気がついた。
塔守であるサザはともかく、未だ子供が出歩くような時間ではなかった。
「どうした、ネネコ……おはようって挨拶するには、まだ早いだろう」
「眠れないから遊びに来ちゃった……それに、聞いて欲しい事があって」
「うん?どうした、話してみろ」
「わたし、また旅に出ようかなあって」
「また突然だな……何処に行くんだ?」
「行き先はちゃんと決まってないんだけど……東」
要領を得ない話ではあるが、これまでの経緯から考えるとサザには答えが解り易かった。
サザの顔色が変わる事にネネコも気がついたのであろう。
口元を緩ませながらも苦笑いを浮かべるが、察しの良いサザだからこそ話したのだ。
「でも、軍人さん達の基地を目指すわけじゃなくて……人探しがしたいの」
「人探し?……誰だ」
「名前はたぶん、リウ・オゥ。サザにいちゃん、聞いた事ある?」
「たぶんって何だよ……いや、俺は知らないな」
ネネコがオルデマスの遺跡探検に向かう、と聞いた時にも何度か制止はしたが
やはり聞く耳は持たなかった。今度も同じであろう事は解る。
しかし、危険性で言えばまた異なる意味で危ないのだ。
「ネネコ、いくら基地に近づくわけじゃないって言ってもな……
奴等は奴等で、お前やエルマーを探してるんじゃないのか」
「うん……エッジさんは、何度でも追い駆けるだろうって言ってた」
「だったら!……どうして自分から、火の中に手を突っ込むような真似をするんだ」
「わたしもエルマーも、何もしてないよ。
何もしてないのに、どうして逃げたり隠れたりしなくちゃいけないの?」
「そうじゃない。軍人達からしたら、ネネコの都合を考えてはくれないだろう?」
「そんなの酷いよ……逃げるって、いつまで逃げ回らなくちゃいけないの……」
「ネネコ……」
「ごめん、サザにいちゃん……サザにいちゃんに怒っても、仕方ないのに」
サザは両腕を広げてネネコを抱きかかえる。
滑らかな羽毛の肌触りと、両腕と共に蒼い翼に包まれて温かさを感じる。
「ネネコの邪魔をするつもりも、邪魔者扱いするつもりもねえよ。
……だけどな、危ないって解ってるのに、黙って見送る事なんて出来ないだろうが」
「……うん」
「前にも話したけど、やりたい事をやればいいさ。ただし、無事に帰ってこいよ」
「ふふふ……みんな、同じ事を言ってくれるんだね」
「バカったれ!お前が危なっかしくて見てられないからだよ」
指で弾かれて、額に痛みが走る。
ネネコを思うからこその痛みである。サザの心情が伝わってくるからこそ、嬉しいのだ。
開放されたネネコは再びエルマーの肩に戻り、もう一度会える事を約束する。
「それじゃあ、サザにいちゃん……いってきます」
「ああ。エルマー、しっかりネネコを守ってやれよ」
風に流れるように離れていくと、大灯台から伸びる光が遥か先まで導いている事が解る。
ネネコが目指す場所には灯台の光は届かないであろうが、サザとの約束は守りたい。
薄明りが漁港の姿を晒し始めると、未だ果たせていない約束があった事を思い出した。
「モド!マーコちゃん!」
漁網を担いで木製の船に取りつけている少年の傍には、眼を擦る少女が寄り添っている。
猟師が仕事を始める時間は、陽が昇るよりも早いのだ。幼い子供には辛いのであろう。
しかし、ネネコとエルマーの姿に気がつくと、兄妹は手を振り上げて応えてくれた。
「おい、珍しいなネネコ!起きようと思えば出来るんじゃねえか」
「ネネコちゃん!エルモちゃんもいっしょ!」
足元を見ないで駆け出そうとしたマーコは危うく前のめりの倒れる所ではあったが
素早くフォローに回ったモドにそのまま抱えられてネネコ達の傍に駆け寄る。
「おじさんも一緒に漁に出るんじゃないの?」
「撒き餌の準備をしてるんだ……どうする?直に海に出るけど、お前も行くか?」
「うん……ううん。わたし、また旅に出ようと思って。挨拶に来たんだ」
「ネネコちゃんとエルモちゃん、どこかおでかけするの……?」
褐色の肌の兄妹は、ネネコが想像した以上に落胆した様子だ。
動揺しつつも平静を取り繕うモドに比べ、マーコは慌ててネネコに抱きついてきた。
「だめ!いっちゃだめだよ……おわかれしないよ!」
「お出かけするのは本当だけど、でもまた帰って来るよ」
「どれくらいの間だよ?五日間くらいで戻るのか」
「まだ、ちゃんと解らないけど……直ぐに済むかもしれないし、長いかもしれない」
「マーコ、泣くなよ……ほれ、ちゃんと挨拶しろ」
「しないよ!しないもん!」
「マーコちゃん、わたしもエルマーも、また一緒に帰って来るから。
今度こそ、みんなで漁のお手伝いしようね」
「いや!」
「大丈夫だ、ネネコ……マーコもちゃんと解ってるから。
その代わり、ちゃんと帰って来いよな!怪我とかすんなよ」
大人達だけではなく、歳の近いモドにまで同じ事を言われるのが妙で吹き出してしまった。
モドに顔を押し当ててこちらを見ようとしないマーコの髪を撫でると、ネネコは手を振る。
「じゃあ、またね!モドとマーコちゃんも、漁のお手伝い頑張ってね!」
朝陽が昇り、夜闇が明けると共にリル・ディスの町民も少しずつ寝巻きを片づけ始める。
そろそろ果物屋のタヌキ夫妻も朝食の準備を始める頃ではないだろうか。
ネネコがすでに起きている事を驚いてくれるかもしれない、と悪戯めいた笑みを浮かべる。
「おばちゃん、おはよう!」
「えっ……いつの間に抜け出していたんだい?
それに何処から入ってくるの……早起きなんて珍しいねえ」
「ふふふ……ひとつ約束を増やして、ひとつ約束を果たしてきた!」
予想通りの反応が見られた事に満足するが、自身の言葉がおかしい事に気がつく。
胸の前で両腕を交差すると首を傾げ、視線を泳がせて悩んでみせる。
「あ、いや……果たせたのは半分で……それにもう一度約束してるから……
減ってないし、むしろ増えたのかな……あれ?」
「何を言ってるんだい?……やっぱりまだ、寝惚けているのかねえ」
髪を撫でると、今朝は寝癖もついていなかった。
些細ではあるが普段と異なる出来事が続くと、やはり特別な日なのだと感慨深くもなる。
ネネコの様子に驚く人物は、まだ増えるようだ。
「おや、ちびスケ?……おじさんがビリッけつになるなんてなあ」
勝ち誇ったように微笑むネネコの姿は何処か滑稽でもあり、愛しくもあった。
この日のネネコの朝食は、二度火を通す必要が無さそうだ。
昨晩は腕を奮いクリームシチューを振舞ったが、今朝の献立にも熱が入りそうだ。
ネネコの旅立ちを見送るのは、これで二度目である。
一度目は、少女がオルデマスの遺跡探検に出掛ける、と言い出した時だ。
初めてリル・ディスを訪れた晩から寝食を共にするようになったのも自然な成行きである。
言葉にすれば赤の他人であり、他所の子供ではあるのだが
不思議と他人行儀となる事もなく、いまでは一緒に生活する事が当たり前のように感じる。
ネネコの帰宅を待つ間は不安や心配を重ねる日々が続いたのも確かではあるが、
巨大なエルマーを連れて帰って来た時には喜びと共に驚きが大きかったのだ。
しかし何故だろうか、ネネコが起こす事なのだと考えると抵抗なく受け入れられた。
ネネコはいま、二階の部屋で荷造りをしている最中だ。
空っぽになって潰れたリュックサックに道具を詰めていくと、気持ちが膨らんでいく。
必要なものをひとつひとつ選り分けていく事から、冒険が始まっていると感じる。
「テントは……エルマーが一緒だから要らないけど、でも旅と言ったらこれだよね」
溢れんばかりに詰め込み、膨らんだリュックサックの上口に
折り畳んだテントの骨組みを横にして差し込むと、準備万端だと気分が爽快になるのだ。
ネネコ・クローネルのこだわりのひとつであった。
リュックサックを背負うと、やはり重量感がある。
狭い階段を器用に降りて店先に出ると、タヌキ夫妻がエルマーと共に待ってくれていた。
「おじちゃん、おばちゃん」
「ちびスケ、袋の中に採れたての果物を詰めておいたからね。
勿論、リンゴも入れておいたから……おじさんとおばさんからのプレゼントだよ」
「わあ、ありがとう!」
「ネネコちゃんが何をしようとしてるのか、おばちゃん達には解らないけど……
何処で何をしていても、応援してるからね。また元気で帰っておいで」
「うん……おばちゃん」
ネネコはリュックサックと果物が詰まった袋を降ろし、抱きついて別れを惜しむ。
突き出た腹は柔らかく、豊かな体毛が果物の香りの中で包み込んでくれた。
一呼吸置いて、抱擁を解いて起こそうとしてもネネコは深く顔を沈めたままだ。
タヌキ夫妻はその様子を見て顔を見合わせ、そして微笑む。
「こんなに甘えん坊なのにね……
いざという時には、大人の言う事なんて全然聞かないんだから」
「……おばちゃん」
ようやく顔を上げたネネコの目は赤い。
頬に伝った涙の後を拭ってやると、ネネコも笑顔を返す事が出来た。
自身で決めた旅立ちとはいえ、別れる時に感情が昂ぶってしまう事は止められないのだ。
「おじちゃん、おばちゃん……いってきます!
きっとまた、エルマーと一緒に帰って来るから……待っててね!」
ネネコとエルマーの二人旅が再び、始まる。
数週間前までと異なるのは、いまは傍にエルマーがいてくれるという事だ。
しかし、振り返ればタヌキ夫妻が手を振り続けてくれている事は変わりがない。
ネネコ達の姿が見えなくなるまで、そうしてくれているのであろう。
だからこそ、ネネコも力強く足を踏み出す事が出来るのだ。