ネネコ・クローネルの冒険記
〜緑光輝の迷い子〜
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第二章(13)
立ち上る赤い炎は、緑の木々を飲み込むとさらに勢いを増して拡大する。
焼かれ、へし折れ、崩れゆく大樹は悲鳴を挙げて姿を消し、
燃え盛る炎は命を吹き込まれた様な、巨大な悪魔として瞳に映った。
エルマーの身体の緑光輝の宝玉も、炎の赤に塗り潰されている。
エルマーは、動けない。
恐ろしい。恐ろしいのだ。
夜の闇さえも明るく照らす禍々しい炎は、生命の火をも己の身血へと変える。
焼かれる生命の器の悲鳴は、エルマーの心を蝕んで離さない。
眼前の光景、全てがエルマーの身体を舐めるように過ぎ去ろうとする。
同時に、奥底に眠る記憶の鍵をこじ開けようと叩きつけてくる。
正体の見えない、己の中の闇に怯え、エルマーは動けないのだ。
「ほら、あなた達も。みんなと一緒に逃げないと。
大丈夫……出ておいで。お家が焼かれても、あなた達は無事でいなくちゃ」
ネネコが大樹に空いた穴を覗き込むと、数匹のリスが肩を寄せ合っていた。
震えながら身じろぎする相手にも、優しく声をかけて手を伸ばす。
本能的に察したのだろうか、ネネコの手に包まれると大人しくなった。
周囲はすでに炎に包まれている。
もはや、その場から逃げ出す以外に選択肢はないはずなのだ。
だが恐怖に心を囚われた動物達はいまだ、その場に佇む事しか出来ない。
ネネコ・クローネルは少しでも多くの動物達を助けたい、と
炎の胃袋と化したオルデマスから離れようとはしなかった。
「森が燃え始めるのを見てから、もうどれだけ時間が経ったのかな……
全然火が消える様子は無い。待ってるだけじゃ、駄目なんだ」
汗を拭う余裕も無く、胸に抱えたリスを庇いながら
ネネコは思案を巡らせるが、かといって何か手段が思いつくわけではない。
迷った事が命取りになったのだろうか、へし折れた大枝がネネコに降掛かる。
「!……うあっ!?」
視界に大枝の影を捉えた時にはもう遅く、飛び退く事も出来なかったが
反射的に身を低くして危険を避けようとすると、轟音だけが耳に届いた。
しかし、ネネコもリスも無事な様だ。
「エルマー!ありがとう、助かったよ」
ネネコが目を開けると、エルマーが上に覆い被さる様に左腕を挙げ、
身を挺して防いでくれた事が解った。その間にリス達も飛び出す。
「大丈夫、痛くなかった?……ん、あれは」
少し離れた場所で、鹿らしき哺乳動物が
燻る木の根の下敷きになっているのを見つけた。
足だけがこちらに覗いている。動く事も出来ないようだ。
「あなた、あなたしっかり!いま出してあげるから……
この、熱……ぎっ、ぎぎぎ……このおっ!」
一部炭と化した大樹の根を乱暴に掻き分け、持ち上げると
下敷きになった鹿が姿を現すが……しかし。
「!」
ネネコの身体に電撃が走る。
鈍器で強く叩きつけられた様な感覚に襲われ、酷い頭痛が響いてきた。
鹿の足から先は、すでに黒く変色していた。焼け爛れていた。
「あ、あ……」
死んでいた。
「うあ、あ……う……」
ネネコは激しく動揺し、言葉を発せなくなってしまう。
明らかに様子がおかしい。
怪訝に感じたエルマーが、何とか身体を奮い立たせて近づこうとする。
「死んでる……死んじゃった……
炎で焼かれて、死んじゃったんだ、この子……」
掌で身体を撫でると、黒炭がしつこくこびりついて来た。
鹿の瞳は、すでに灰色に濁り、光を失っていた。
どうしようもない感情がネネコの身体を駆け巡り、少女は叫び声を挙げる。
「どうして……どうしてこんな事が出来るのっ!?」
オルデマスの空を貫くかの勢いで、ネネコの声が木霊した。
燃え盛る炎もまた、一時震え、勢いを止めたようにも見えた。
魂が抜け落ち、黒い塊と化した身体を抱きしめたまま、ネネコは号泣する。
「うああ……うわあああっ!」
エルマーの心が、魂が慟哭した。
ネネコが泣いている。
「ひどい、ひどいよ……なんで、こんな事……」
泣かないで。
「この子、何もしてない……なのに、何もしてないのに……」
ネネコ、泣かないで。
「消さなくちゃ、こんな炎、全部消さなくちゃ……!」
混乱し、半ば発狂したネネコは外套を脱ぎ捨てると、
炎の中に身を投げて、火を消そうと必死に外套を振り回した。
瞳が赤く染まり、歯を剥き出しにしたネネコは錯乱していた。
「燃えちゃうよ、みんな燃えちゃう!」
泣かないで、ネネコ!
痛々しいネネコの姿を目の当たりにしながら、
エルマーは必死に声を届けようとする。
しかし全ては、炎の中へと飲み込まれ、消え去ってしまう。
これでいいのか?
このままでいいのか?
無抵抗のままに命を奪われる緑の木々。
逃げ惑う動物、魚、虫達の悲鳴。
赤に支配される夜空、震撼する大地。
死ぬ。
殺されてしまう。
耐えられない。
すべてが耐えられない。
何よりも、この感情の中で、恐怖に囚われて何も出来ない自身が許せない。
『ネネコ!』
「!……えっ?」
エルマーが飛び出してきた。
外套を掴み、ネネコの腕を封じるとエルマーは瞳を輝かせた。
強く輝くエルマーの瞳。そして、はっきりと聞こえたエルマーの声。
「エルマー……何?」
感情を押し込めるには小さ過ぎる身体を起こして振り返り、
エルマーを見上げるネネコはぽろぽろと涙を零し続けている。
火傷を負ったか細い腕。震え続ける両肩。
もう放って置く事など、出来ない。
『ネネコ、見ていて』
「何?何を……?」
『エルマーを、見ていて』
エルマーの声が止んだ。
同時に、ネネコの涙も止まる。
不思議な静寂が、ネネコとエルマーの周囲を包み込んだ。
「エルマー……あなたは……」
エルマーが両腕を広げ、天を仰ぐと緑光輝が溢れ始める。
一際強く輝き始めると、エルマーの背部に黄金の翼が形成されていく。
緑、白、そして黄金。
まばゆい光が放出され、そしてまたエルマーの身体に戻っていくと
翼を広げたエルマーの姿が、輝きの中から姿を現した。
心を解き放ったエルマーが見せた姿は、天の使いの様にも映った。
「エルマーの事、見ていて……って言ったんだよね?
……エルマー、どうするの?どうしようとしているの?」
エルマーの声は、もう聞こえてこない。
しかし、いつもの様に瞳を優しく点滅させると、エルマーは飛び上がった。
翼、そして後部スカートからいくつもの光を舞い散らせていく。
暴君と化した炎、そしてその先の夜の闇を切り裂くと、
エルマーは翼の動きを止め、身を捧げるかのように彼方を見つめる。