ネネコ・クローネルの冒険記
〜緑光輝の迷い子〜

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第二章(15)


『オオオオオオオオッ!』

世界のすべてを引き裂くかの様な雄叫びが、夜のオルデマスに響き渡る。
強烈な圧迫感を持つ咆哮だ。
声ひとつで吹き飛ばされそうになる。魂を抜き取られそうになる。

「な、なんだ!?」
「うう……あああっ!なんです、声!?」

弱者が捕食者に睨まれた時の感覚だろうか。
全身の毛穴が収縮し、ただ直立する力さえも奪っていく。
誰もが声にならない声を挙げ、乱暴に打ち付ける声に戦慄を覚える。

「なっ、あ……ユ、ユーノッ」
「グ……オズ・パッセ、何が……何が起きている、ジュッ、准尉!?」

応答は無い。
それどころか、モルドフの計器すべてが狂っていた。
表示が有り得ない数値を指し示したかと思うと、やがて主電源ごと消失する。

「やめろー!やめてくれ!」
「アアッ……アーッ!」

耳を塞ごうが、瞳を閉じようが変わらず声は聞こえてくる。
恐怖、そして恐慌でしかない。
心、そして魂を直接蝕むのかという感覚が彼等を決して逃がしはしない。

そうだ。
彼等はすべて、肉体だけではなく精神すらも支配されようとしていた。

『オオオオオオオオッ!』

そして声と同時に空間を支配するのが、強烈な風だ。
赤く燃え上がる炎さえもその手中に置き、掻き乱していく。
帝国軍人達が力を尽くして抵抗した炎を相手に、赤子を捻る勢いで吹き荒ぶ。

『オオオゥ……オオオオオッ!オオオオオオッ!』

声の正体は何者なのか。
風の正体は何者なのか。

混乱の中、冷静に判断出来る者はその場には存在しなかったのだが、
何故か誰もが、相手を「者」として捉えていた。
正体の見えない、恐怖の対象者。


だが、このオルデマスの中で唯一人、
悪戯に恐怖に振り回される事の無い者がたしかにいた。

ネネコ・クローネルだ。

「声、風……そうだ、遺跡の地下で、出会った時と同じ……」

荒れ狂う風の中、赤髪と外套を必死に庇いながらも
ネネコは瞳を開けて見守る事に専念した。
エルマーを見ていて、という約束を無意識の中で繋ぎ止める様に。

「だけど、あの時とは少し違う?
あの時もたくさんの声が聞こえたけど……今度は……」

帝国軍人達は気がつく事が出来なかっただろう。
声は、野獣の雄叫びだけが響き渡っているわけではなかった。
声が幾重にも重なり、その正体が混ざり合っていただけだ。

「声……怒っているだけじゃない……泣いているだけじゃない……」

ネネコにとって最も聞き分け易かったのは、女性の声だ。
重圧をかける低音の声の裏側に、穏やかな高音域の声が聞こえる。
ただ攻撃性を持って空間を襲っているわけではないのだ。

「エルマーだけじゃないんだ。
だとしたら、誰……もしかして、あなたは……あなた達は」

ネネコは改めて、夜闇に広がる緑光輝の海を見上げた。
すでに、エルマーだけを探し当てるのは難しくなっていた。
それでも心細さ、寂しさを感じる事は無い。

翡翠に輝く海は、オルデマスを移す鏡なのか?

降り積もる光の正体が、唯ひとつだけの存在では無い事を察した時
ネネコ・クローネルの心には穏やかさが生まれていた。
そして、この光の正体と目的を知るのだ。

光は、癒そうとしている。
ネネコだけを相手にではない。

いまこの時、オルデマスに生ける存在すべてを。
この時まで、オルデマスで生きた存在すべてが。

「エルマー……」

エルマーを中心として、オルデマスの生命が繋がっていく。


オルデマスの空で、エルマーはネネコを見つめている。
エルマーを見上げるネネコは、ようやく笑ってくれた。微笑んでくれた。
同時にネネコの心の光を感じ取り、エルマーは安堵する。

猛威を振るっていた炎壁も、嵐の中で収束しつつある。
仕上げだ。すべてを大地に還す。
過ちも、驕りも、時間が許してくれるかもしれない。

エルマーの力が出来る事は、そのきっかけを作る所までだ。
静かに頷くと、エルマーは広げた両腕をゆっくりと下ろして
暴走する風に別れを告げ、ただ感謝の意を送る。

そして、自身と一体と成った光すべてを解放した。


「風が……止んだ……」
「雨……?」

咆哮が沈黙へと帰り、風が瓦礫の大樹を吹き抜けていく。
意思も、感情も、猛る炎も連れ去っていく緑光輝の風は
帝国軍人達を支配していた恐怖さえも拭い去り、消えていった。

そして夜闇に降り注ぐのは、数滴から始まる暖かな雨。
やがて彼等も気がつく事となる。

声も、風も、彼等すべてを助けようとしていたのだと。

「機械人、エルマー……
君は、俺達を許そうというのか?……いや、それでは都合が良過ぎるか」

ユノン大尉は徐々に雨足を強くする空を見上げながら言葉を反芻し、
幾分乱暴に額と頬を拭って見せる。
以前から自覚はしていたが、彼の掌は汚れていた。

ただそれだけが、彼にとって苦痛なのだ。


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