ネネコ・クローネルの冒険記
〜緑光輝の迷い子〜

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第三章(1)


一面に広がる花畑。

赤、青、黄色……数多の彩りが天然の絨毯を敷く。
白の化粧を施した空。
花畑の彼方に滲む緑の大地。

夢うつつとも見紛う穏やかな風景に、
ただ闇を映すだけの柱がそびえ立っている。

いや、果たしてそれは、柱では無かった。
黒色の翼を折り畳み、流れる雲を目で追う彼は
並外れた体躯を持つものの、人影であるようだ。

「こんにちは。遊びに来たよ、エモーザ」

黒色の彼に駆け寄り、明快な声を挙げるもう一つの人影。
赤い髪を揺らし、小柄な身体を懸命に主張して声を挙げる。

カラスにも似た黒色の彼の名は、エモーザという。
少女の姿を視界に捉えると、エモーザは苦笑した。

「よく来てくれたね、モ・パティ。しかしその格好は酷いな」
「そう?きっと喜んでくれると思ったんだけどなあ」

モ・パティと呼ばれた少女は、小さく首を傾けて笑う。
エモーザにとっては、そうした仕草も違和感を抱かせるようだ。

「ほら、ネネコ・クローネルはそんな笑い方はしないよ」
「ファンなんだから、エモーザは」
「ふふふ……君もね、モ・パティ」

お互いに不快感は無いらしい。
少女の姿を模したモ・パティは肩を揺らして笑うものの、
カラスの仮面を被ったエモーザの表情はわかりづらい。

だがしかし、この花畑に流れる暖かい風に変化は無いのだ。

「もう会って来たのかい?ネネコ・クローネルには」
「うん。だけど彼女、私だって気づいてくれたかなあ」
「それは解らないだろう。やはり、姿を変えて近づいたのだろう?」

「そうだよ。でももしかしたら、って」
「本来の君の姿も、名前も知らないのに。解らないさ」
「そっか……残念」

ネネコ・クローネルと同じ様に、表情をコロコロと変えてモ・パティは笑う。
所々の仕草の可笑しさにも慣れてきたエモーザは、
皮肉を込めてモ・パティを責める事もしなくなった。

「相当にお気に入りのようだね」
「好きだよ。彼女の心に触れていると、とても気持ち良いの」
「だから、いつもネネコ・クローネルの夢に触れているのかい」

「気づいてたんだね」
「いや、適当に」
「意地悪だよね、エモーザは」

「意地悪ついでにおせっかいを焼くけど、触れる頻度が高過ぎじゃないかい」
「グラン・バが言う様に、あまり干渉するなという事?」

「僕はそこまでは言わないけどね。むしろ、言われている立場だから」
「だからこうして、夢の世界に引き込んで、遊びに来てあげてるんだよ」
「もちろん、解っているよ。ありがとう」

「ふふふ」

屈託無く笑う表情に限っては、モ・パティは上手く映し込んでいる。
むしろこの表情は、モ・パティ本人の性格による物なのかもしれないが。

「君は良いね。そうして奔放に彼女と会う事が出来るんだから」
「約束しちゃったんだっけ?」
「そうだよ。今度は、君の方から会いに来てくれ、と」

「ほらほら、会いに来たよ」
「冗談で言っているのだろうけれど、最初は皮肉なのかと錯覚したよ」
「そっか……皮肉か。だけど全然、そんなつもりは無かったよ」

「もちろん、解っているよ」
「良かった」

モ・パティには笑顔が良く似合う。
時折、目の前にいるのは本来のネネコ・クローネルなのではないか、と
エモーザは困惑にも似た混乱に陥りそうになる。

それは安堵にも似た感覚を伴うが、やがてエモーザは意識を尖らせた。

「そうした裏表の顔を言うのなら、グラン・バは相当だね」
「どういう事?」

「その内解る事だけれど……彼も姿を現すよ」
「ネネコ・クローネルの傍に?」
「おそらくはね」

「エモーザは閉じ込めておくのにね」
「そうさ……釈然としないだろう」
「だけど、いいじゃない。この間、夢づたいで会えたんだから」

「感謝してるよ」
「みんな、同じ様な事してるんだもんね」
「そこは、ほら……人の行動は、必ずしも自身の意思に寄るものとは限らないからね」

「その言葉、好きだよね」
「ふふふ」
「だけど本当は、嫌いでしょう?」

エモーザは一度、間を置いた。

「君には負けるよ」
「勝ち負けなんて、どうでもいい事じゃない」
「似てるよ。良く似てる」

「あははは!」

一面に咲く数多の花びらは、変わらず豊かな彩りを放っている。
モ・パティがエモーザと会う為に創り出した世界。
ただ、それだけの為に創られた、美しい世界。

美しいだけではあるのだが、だからこそ価値があると感じられる。

「ねえ、今日はエモーザに聞いてみたい事があったんだ」
「なんだい」

「どうして人間達って、わたし達をつけ狙うの?」

ふむ、と小さく首を傾げ、一度だけ深く息を零すとやがて口を開く。

「物事に対して、簡単で……簡略な答えを求めるのが彼らだけれど、その一方で、
実際には事実を難解かつ、ややこしくしていくのが彼等の本質だからね」

「どういう意味なの?」

エモーザの言葉からはいつも、何処か詩的で遠まわしな印象を受ける。
それでもモ・パティにとっては問題ではない。
言葉に意味を求めているのでは無く、彼の言葉を聞く事に価値を見出しているからだ。

「理由としては非常にシンプルなのさ。
だけど、それだけではつまらないという矛盾を抱えているからね。
さも大袈裟に、大層な意味と些細なプライドを織り交ぜてしまうのさ」

「良く解らないなあ」
「それは君自身が、ややこしくないからさ」

「だけど、人間達がやろうとしている事は解るよ」
「そうかい?」
「これで何度目なのかなあ。何回同じ事を繰り返すの?」

「その言葉、そのまま彼等に突きつけてやりたいね」
「人間達は嫌いじゃないけど、好きにはなれない人もたくさんいるもの」
「やり過ぎたらまた、彼等自身の手で勝手に滅びるさ」

「わたし達が何をするまでもなく?」
「そうだね。黙ってみていれば事は成され、済むものだよ」

モ・パティは風が撫でる髪を小さな手の平で庇いながら、
初めて寂しげな表情を見せ、エモーザに応える。

「だけどわたし、全部が滅びてしまうなんて嫌だよ。
ネネコ・クローネルが暮らす、この世界だもの」

「単純かつ明快な答えだね」
「守りたいなあ、わたしは」
「……僕も同じ気持ちだよ。きっと、彼もそうだ」

「彼?イールミュ・エルの事?」
「その呼び方は正しくないな。彼はイールミュ・エルじゃない」

「?」

「エルマーだよ」
「ああ……ああ!そっか。そうだよね」

すべての疑問と疑念に、晴れ間がさす様な爽快感を覚える。

彼はイールミュ・エルではない。
彼は、エルマーなのだ。

ただそれだけの単純な言葉の中に、どれだけの意味があるのか。
しかし世界中の誰彼に解らずとも、モ・パティは心が満たされていく。

「ネネコとエルマー。あの子達の事、もう少し見守っていたいなあ」
「僕も同じ気持ちだよ。そしておそらく、この世界も同じ様に感じているはず」

「わたし、行くね」
「うん?そうかい。もう少し話していたかったけど……また来ておくれ」
「本来のネネコ・クローネルと会えるのは、まだ先の話になりそうだしね」

「ふふふ……皮肉ではなく、君の優しさだと受け取っておくよ」
「うん!」

モ・パティの身体から色彩が消えていく。
やがて手を振る姿さえも花畑の空間へと消失し、
また同じ様に、この美しい世界も姿を隠す事となった。

「何度体験しても、この夢の世界の消失感は……悲しいものがあるね」

それはエモーザの姿、存在も例外なく同じ様だ。
彼の黒色の身体が空間の白と混ざる様子は、非常にあっけない。

自覚しての事であろうか、彼は自嘲気味に笑う。


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