ネネコ・クローネルの冒険記
〜緑光輝の迷い子〜
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第三章(5)
鉄骨は太陽の恩恵に抗うように光を反射し、無作法に熱を照り返している。
雨風が通り過ぎた道筋に対して、皮肉を吐き捨てるかのように赤黒い錆が醜態を晒す。
排水溝から流れる汚水は、自身を汚すだけでは飽き足らずに河川の中に傾れ込む。
ユノン・マーダ大尉は軍管轄の研究所に滞在しているが、間もなく出立を迎える。
姿を晒してから、一向に割れる気配の無い濁った水泡を睨みつけると、指を顎に沿えた。
「大尉、目録の確認が完了しました。搬入漏れはありません」
「わかった、准尉……部隊員は乗船。走路には発進のアナウンスを」
「了解しました」
倉庫の出入口と三隻の飛空挺の間では、軍人と研究所員が慌しく作業に追われていた。
コンテナ移動のために展開されていたリフトやクレーン等の工機もその場を離れる。
耳と頭に不快感を与える独特のノイズを絶えず発する、
その作業場の中心を避けるように離れていた大尉の下に、直轄の部下であるマヤ准尉が
経過報告を伝えようと駆け寄ってくるが、簡潔な言葉にまとめて返答した。
元々口数が少なく、淡々とした印象を常に相手に与えがちな男ではあったが、
いつになく苛立ちや焦りに似た棘を顕わにする上官の姿に、マヤ准尉は違和感を抱いた。
もっとも、女性であるマヤ准尉だからこそ気がつく事が出来た変化であるのかもしれない。
事実、ユノン大尉は鼻先と頬を油で汚した准尉の顔を見て、気を回してはいたのだ。
多少感情の発露を見せたとしても、細かい部分まで目を行き届かせる事を忘れはしない。
ユノン・マーダとは、そういう人間であった。
間もなく、飛空挺は艦体に備えつけた大型のプロペラをそれぞれに起動しては
大気を乱暴に振り回し、発走路は埃と爆音で掻き乱されていった。
発進に問題は無い。
鉄屑の塊は地表を離れ、見事に大空の中へと飛び込んで見せた。
大尉は扉の小窓から目をやり、残る二隻がついて来るのを確認すると、足を上げる。
「航路が順調であれば、中継を挟んで五日後には駐屯基地へ帰還する事となります」
「そうか。ここまでは何事も無くて良かった」
「こちらは、手続きを終えた書類、資料と目録です。ご確認を」
「君のおかげで物資の受取も滞りなく済んだよ……同行してもらった甲斐がある」
「任務ですので」
大尉はマヤ准尉から幾種類かの冊子を受け取ると、多少軽快に話を進めてくる。
やはり、研究所は肌に合わなかったのであろうか。
准尉は疑問を胸に押し留め、最低限の言葉を返して大尉の後に続いた。
ブリッジに進むためには、細く頼りない足場と、煩い機関室の前を通る必要がある。
途中通過する剥き出しの渡り廊下では、吹きすさぶ強烈な風と対面しなければならない。
ようやく渡り廊下の扉を閉めると、指を傾げて准尉を小部屋へと誘導する。
「飛空挺が三隻……いくらか大袈裟な気はしたのだがな」
「普段の定期補充の数からしても、過剰なきらいが否めませんが」
駐屯基地で必要となる物資や食料、工機や特装類は基地内で賄われるわけではない。
当然、外部から補充する形が常だが、それでもせいぜい一度に二隻の飛空挺で済む。
ユノン大尉は、目録を手早く捲りながら言葉を続けていく。
「火器銃器……特装の補充、配置転換が主な原因か」
「消耗品の類に、搬入数の変化はありませんので……気になるのは、やはり」
「新型……いや、試作機の現場試験のための譲渡通達か」
「何故、本土ではなくリル・ディス駐屯基地で、なのでしょうか」
マヤ准尉は尋ねながら、本心では答えが上がっていた。
軍上層部が機械人の調査研究のために経費を傾倒させているのは事実ではないのか。
しかし、頭に血が昇り易い同僚とは異なり、直接核心に触れる事はしない。
「経緯、日程もすべてはバセス中佐の段取り通りだからな」
「推し量るべき事実ではない、と」
「俺は万能ではないからね、管轄内のすべてを把握しているわけではない」
「それは、そうです」
「この船もそうだ……操縦士がいなければ落ちる。機長がいなければ統制も出来ない」
話が摩り替えられていく。
自覚は出来るが、かといって反抗する理由も無い。
「ですが、ガルーダの群れにでも捕まった時には、特装で出撃していただきますよ」
「モルドフに飛行は無理だよ。役には立たないね」
「新型が、あります」
「うむ……」
試作機の資料を開いてみる。
ざっと目を通しただけでも、モルドフとは開発系統が異なるように見えるが。
搬入はハルプラッセ軍開発研究所の支所で行われたが、開発も同様ではないのか。
疑問は数多く残るが、試作機の資料を頭に入れておきたいとも考える。
「准尉、ブリッジに上がって、機長と以後の道程を話し合ってくれ」
「了解しました」
気をやっていたのであろうか、いつの間にか准尉の顔の汚れは拭き取られていた。
退室するのを確認すると、ユノン大尉は木製のベッドに腰を下ろして熟読を始める。
資料には、数字と専門用語が目まぐるしく重なるページが続いている。
理解出来ない事はないが、操縦するだけなら不要な項目も多い。
半分まで読み進めたところで一度冊子を閉じると、表紙に記された単語が目につく。
「ACX-04……やはり、形式番号からして系統が解らないか。
名称は、ゲン・バウア……さて、どういう意味だったかな」
「ゲン・バウア、神話の中では『伴侶の十字架』を意味しておるのう」
記憶の中の不明瞭な単語と合致して、小さな達成感を覚えるが
咄嗟に、個室にひとりで冊子を読んでいた、という本来の環境条件を思い出して
身体を硬直させたユノン大尉は、声が聞こえてきた扉に向けて顔を上げる。
何時の間に入室していたのか、立っていたのは一応見覚えのある顔であった。
「ミドレィ公」
亜人種と呼んでも支障はなかろう、ドルイド種の老人だ。
背丈はユノン大尉の膝辺りまでしかなく、幾重にも皺の寄った肌と長い眉が目立つ。
民族衣装を髣髴とさせるローブを身に纏い、絵に描いたような異様さを放っている。
一連の荷受任務に対する疑問点をさらに追加させるように、彼の出自も不明だ。
物資と共に、数人の補充人員も記されてはいたが、ミドレィ公はまた別件である。
VIP待遇、とされていた。しかし何の役割で同行するのかは通達されていない。
突然の対面に動揺するが、相手が重要人物と思われるだけに、大尉は頭を振る。
「どうされました、艦内を迷われましたか」
「うむうむ、まあそんなところかのう」
「では、私が案内しましょう。ミドレィ公の客室でよろしいですか」
立ち上がって襟と裾を直すユノン大尉だが、老人は構わずに歩み寄ってくる。
無遠慮な振る舞いに対して、戸惑いを隠す事が出来ない。
「構わんよ。それよりも、そう……お前さんと話がしたくてな。ほれ、座るが良い」
「私と、ですか」
椅子を差し出そうとするが、何分座る位置が老人の頭よりも高い。
立ち回り方が把握出来ず、大尉は心を揺さぶられるかのような感覚に苛まれる。
しかし、膝を折って視線が近くなった時に、ミドレィ公の変化に気がついた。
深い皺の奥に、ようやく老人の瞳が確認出来る。
ミドレィ公は何を見たのか、瞳にユノン大尉の顔を映すように幾らか見開いてみせた。
「そうか、お前さんは……」
「?……なんです、ミドレィ公……」
「何かを感じないかね?」
「何か、とは……ミドレィ公、あなたに……ですか?」
「……いや、何もない。何も言うまいて」
瞳が皺の中に隠れてしまうと、ミドレィ公は踵を返してベッドの端に飛び乗った。
大尉も、自身が差し出した椅子に座るよう促される。
ペースを握られ、この場所が大尉の個室である事を主張する機会さえ与えられない。
ミドレィ公は手元に広げられている、ゲン・バウアに関する資料をめくると
当てつけた様に口の端を歪ませ、ふん、と笑ってみせた。
「ミドレィ公はゲン・バウアの事をご存知で?」
「何も聞いてはおらんと?ワシは特装の助言役という事で、そっちに回されたのだが」
「助言……特装の?」
「そう、ゲン・バウア専任という事になるがな」
特装どころか、この機械仕掛けの飛空挺すら彼には似合わず、場にもそぐわない。
ゲン・バウアとの関連性が何ひとつ掴めないが、彼が来賓である事に変わりはないのだ。
大尉の心情を知っての事か、ミドレィ公は個室を見回して目を細める。
「ユノン殿、場に似合わないのは貴殿も同じようだのう」
「……は?」
唐突な発言に面食らい、声に出さない意識を読まれた事実にも気がつかなかった。
ミドレィ公は、室内に並べられた木製品、そして卓上の花をよく確かめている。
「研究所にしても、この飛空挺にしても……卑しくも緑が排除された環境であろう」
「ええ、たしかに」
「しかしユノン殿は、意識してコーディネイトしているように見受けられてな」
ようやく、話の筋を掴む事が出来た。
たしかにユノン大尉は、機械的な風景や環境を好まない。
好まないというよりも嫌悪していると表した方が適切であろう。
大尉は局地的に機械化が進む帝国の軍人であり、特殊アーマーの操縦士である。
矛盾だと捉えられかねないが、油や金属の匂いを好まないのは生理的な癖だ。
個人的な嗜好を口に出して表現する事を避けてきただけに、
初見の老人に見抜かれてしまう事に、ユノン大尉は驚いた。
もっとも、隠し通せていると思い込んでいるのは本人だけであり、周知の事実なのだが。
「悪い趣味じゃあないよ。ワシもその方が性に合っておる」
「はあ……反面、特装の開発にも関わっておられると?」
「だからこそ、だよ……ワシとお前さんは、似た者同士であろう?」
話は一本の糸で繋がっていたのだ。
老人の言わんとする事柄を理解して、ユノンは声もなく頷いてみせた。
ミドレィ公の話術に飲まれるように流される様子を見て、老人が笑う。
ユノン大尉は堅物や理屈屋だという印象を相手に与えがちだが、難儀な性格ではない。
むしろ、意識の奥には素直で正直な性根が見え隠れしている。
だからこそ、警戒を解いて同一視させようとする、ミドレィ公の言葉にも乗せられる。
「到着までは数日かかるのであろう?……また後程、話の相手をしておくれ」
「お戻りになるので?……お食事を運ばせましょうか?」
「お前さんも何かと忙しかろうて。ひとりで戻れるよ、邪魔したのう」
しかし老人の背丈では、ドアノブにも手が届かない。
大尉はミドレィ公を見送り扉を閉めた所で、どうやって入室したのかと、指を顎に沿えた。