ネネコ・クローネルの冒険記
〜緑光輝の迷い子〜

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第四章(1)


リル・ディスから東の方角に位置する帝国軍の駐屯基地。
緩やかな斜面を描く背の低い山岳地帯に佇む、赤茶けた石壁に覆われた城砦である。
やや離れた場所には、緑木を平坦に切り取って確保された演習所が構えられている。

大量の補給物資が基地に搬送されてから、山岳では爆薬の炸裂音が響き渡っている。
駐屯基地が拓かれた時期から遡っても実弾を使用した訓練は類を見ないものである。
過去に射撃の模擬訓練が行われる際にも、魔晶石を転用した模擬弾が使われていた。

環境保全、危険区域の警戒と防護が駐屯基地に駐在する兵隊員の主な役割であった。
戦闘用の武装が施された特殊アーマーをもって、一体何者と戦おうというのか。

オルデマスでの調査及び消化任務、リル・ディスでの少女、機械人捜索に続いて
不可解かつ不本意な命令が立て続けとなり、彼等の士気は下がる一方である。

長い期間をかけて彼等が行ってきた旨とは、大きく異なる事柄が続いているのだ。
時期として考えれば、それはバセス・チルノダ中佐が転属されてからの事だ。
帝国本土の、そして直轄の上官からの直命だ。逆らう事などしないが、不服ではある。

そのバセス中佐は自らゲン・バウアの試運転と記録管理を行い、
演習所に他の兵隊員を残して、駐屯基地の特装倉庫へと帰還したところであった。

「ゲン・バウアの調子はどうかね」

バセス中佐がゲン・バウアのハッチを開いて電源を落とすと、
整備班に紛れてドルイド種の老人、ミドレィ公が顔を並べていた事に気がつく。

本土から直接の依頼を受けて駐屯基地を来訪した事はすでに確認済みではあるが、
老人が不審者である事に変わりはなかった。研究所以前の履歴が存在しないのだ。
本人に聞いても不明瞭ではあるが、たしかにゲン・バウアに関する知識はある。

「パワーが上がり過ぎではないのか……どうにも振り回される感がある」
「調整が必要かのう」
「制御出来ない程の性能は、かえって足枷になるだけだ」

「言い得て妙だな……連中にも伝えてやりたい」
「何の話をしている」
「レベルを下げる事は出来るよ。やっておこうか」
「やってやれないわけではない……勝手が違う、という話をしているだけだよ」

革の手袋を外し、乱れた毛並みを整えながらバセス中佐は忌々しげに言葉を返す。
その様子にミドレィ公は笑みを浮かべるからこそ、尚も神経を逆撫でられるのだ。

「そう、そう……この程度で音を上げていては、直ぐに追いつけなくなるからのう」
「気に入らない言い草だな」

動作確認、機能の把握は一通り済ませてはいるが、一点だけ気になる事がある。
マニュアルを隅まで通して読んでも、肝心の記述が見当たらないのだ。
そうなればミドレィ公の助言を仰ぐしかない。

「ミドレィ公……エイ・シイ・ドライブとは何だ」
「何、とは?」
「制御系とも動力とも異なる部位の名称なのだろう?知っているなら答えろ」
「さあのう……そのうち解る事だろうて」

老人の素性を含めてもそうだが、核心を突こうとするとはぐらかされる感がある。
いや、はぐらかしている事が容易に解るからこそ苛立ちを隠せないのだ。

「誤作動と共に機体が損壊する事があっては困る……私も無駄に怪我はしたくない」
「いまのところ、挙動がおかしくなる事もないのであろう」
「誤作動といえば、この特装が基地に搬送された時に起こっているな」
「それが、エイ・シイ・ドライブと関係があるというのかね」

「聞いているのは私だ」
「ふむ……」

妙な含みを持たせただけで、ミドレィ公は背を向けてその場を後にしようとする。
相手にする気が失せたバセス中佐は、老人を追い駆けてまで食い下がる気は起きない。
しかしゲン・バウアに関して、重要な項目であると思えてならなかった。

無骨な特装は良い動きをする。
だが、ただそれだけの機体ではないのではないだろうか。

中佐は整備班から記録の写しを受取り、倉庫を後にした。


駐屯基地に配属されている兵隊員は、物資の到着以後は基地内に召集されている。
急遽派遣任務が下りて少数の小隊が出向する事はあるが、ほぼ訓練が続く日々だ。
訓練もすべては機械人入手のためであろうが、ネネコらの探索もいまは行われていない。

棟内の休憩所では、一日の訓練項目を終えたユノン大尉らが集まっていた。

「しかしまあ、よくもここまで戦闘用の兵装が揃えられたもんだな」
「それだけ本国も本気だという事だろう」
「戦争でも起こすつもりなのかね?……子供ひとり相手に」

エッジ少尉が口にするのは、やはり皮肉であり、嫌味なのである。
中佐から直接、今度の兵装強化の目的が機械人入手だと聞かされているわけではない。
しかしそれ以外の理由など見当たらないのだ。誰にでも予想はつく。

ユノン大尉らが搬送を終えて間もなく、エッジ少尉率いる探索班も帰還した。
再編成された数機のモルドフ、そして専用の重火器が並べられた倉庫に目を通すと
以後少尉の小言を絶えず聞かされる羽目になったが、妙な安堵感があったのも確かだ。

「リル・ディスでは、ネネコ・クローネルには会えたのか」
「うん?……生意気なガキだったよ」
「機械人も一緒に発見したんじゃないのか……何故拘束しなかった?」

追求されると、少尉は罰の悪い顔をして宙を見回す限りである。
何か心変わりがあったのかは知らないが、誤魔化し方が下手な奴だと苦笑する。
もっとも、そのあからさまな様子は同じ立場に立った大尉も、そう変わりはないのだが。

「話を戻すが……本当に、子供に銃を向けるつもりなのかね」
「……状況次第だろうな」
「察しの通り、俺は勝手な判断で任務を放棄してる……妙な避け方はもう止めろよ」
「そうか」

「だが、状況次第だと言うのはお前にも解るだろう」
「まあな……だけどよ、砲弾が飛び交う中で奴を庇えるとも思えないんだが」
「こうして俺達が間誤ついている間に、何処か遠方へ退避してくれればいいが」

エッジ少尉は、最後にリル・ディスで顔を合わせた時の事を思い出してみる。
喫茶店で別れた時もそうであったが、これで縁も切れたとは考えられない。

帰還してから剃り上げた顎鬚はもうない。
しかし指の腹でなぞれば、伸び始めた短い毛が存在を主張してくるのだ。
腕を組み、眉を寄せる同僚の姿が滑稽に思えてユノン大尉は笑った。

「何故、ネネコ・クローネルを拘束しなかった?」
「しつこいな……拘束する気が起きなかった、それだけだよ」
「それだけで命令違反を犯したと?」
「……そうだ」

「それでいい」
「……は?」

エッジ少尉の真意を知ってか知らずか、大尉は容易に引き下がった感じがした。
胸の内を読まれる事に浮き足立っていた少尉は逃げ果せた気分だが、意外でもある。

「エッジ、次の任務ではお前が第一小隊の小隊長だ」
「なんだと?……どういう意味だ」
「俺が決めたわけじゃない。直に中佐からも編成内容の伝達があるはずだ」
「まだ、尾を引いてるって事か」

「さてな……だが、俺にとっても都合が良い」
「都合が良い……?」
「機械人に関してはどう結果が出るか解らんが……上手く立ち回れよ」
「なんだよ、途端に他人事みたいな言い回しをしやがって」

「そうでもないさ。やるべき事はある」

ユノン大尉は席を立つが、エッジ少尉は抱えた不安が大きくなるばかりだ。
事態がどうあれ、意地でもネネコやエルマーを庇うだけの理由は無いし、義理もない。

だが、次に遭遇する時には自身は武装された特殊アーマーに搭乗している事になる。
出来る事なら遭遇する事自体を避けたいものではあるが。
カップのコーヒーは香り良く漂うが、この時ばかりは鬱陶しさを隠せなかった。


来訪する客もまばらになり、果物屋の主人と女将も少しずつ軒先の木箱を片づけ始める。
準備の早い家ではすでに晩御飯の支度も始めており、腹の奥を誘惑する湯気が漂う。
この日はネネコも、店先で販売の手伝いをしていた。エルマーも一緒である。

ネネコはエルマーの具合を気にしてはいたが、その後大きな変化はない。
突然倒れたりする事もなく落ち着いた様子で、果物の配達も安心して任せられた。
しかし時折、東の空を見上げては何か感慨に耽っているようにも見えるのだ。

手や足を動かしていない時、何か間が空いた時には決まって東の空を見上げている。
すでに習慣となっており、ネネコは見て見ぬ振りをしていたが、もう自身を騙せなかった。

「エルマー」

足元に寄ってきたネネコに気がつくと、エルマーは身体ごと少女に向き直って反応する。
呼びかけにも応じられない程に身体を支配されているわけではないのだ。

「エルマー、気になるの?……その、リウ・オゥの事」

エルマー本人が明確に答えたわけではないが、東の空と【RiU:ow】という文字の間に
関係があるのではないか、という推測はネネコの中ですでに確信に変わっていた。
そして【RiU:ow】とはエルマーが会いたい相手、つまり人であるのだと想像している。

ネネコはエルマーの表情を見上げ、静かに反応を待ってみる。
やはり言葉は聞こえてこないのだ。
答えはネネコ自身が感じ取る以外にはない。その上で尚、出てくる答えは決まっていた。

「……だったら、一緒に行ってみようか。探してみよう……リウ・オゥを」

東の空の向こう側には、ネネコとエルマーを探している軍人達の駐屯基地がある。
エルマーとリウ・オゥ、ネネコ自身と軍人達の間に切れない縁がある事も解っている。
このまま東の方角を目指して旅を始めれば、遭遇してしまう危険は高くなるだろう。

解っていても、エルマーを放って置く事は出来なかった。
何よりも、ネネコ自身が気になるのだ。
憶測とも予感とも異なるが、東の空では自身にとって重要な出来事が待つのではないか。

今度のエルマーの変化も、風が吹く先の道標なのではないだろうか。
例え危険な目に遭おうと臨むべきではないのかという意思がネネコの中に芽生えている。
エルマーに触れてみると、やはり温かいのだ。

「ネネコちゃん、ぼーっとしてどうしたんだい」
「おばちゃん……突然の話なんだけど、わたし……また旅に出てくるよ」
「……そうかい。
 ひとつだけ、約束出来るなら……おばちゃんもおじちゃんも、笑顔で送ってあげるよ」

「約束?」
「必ず元気で、またリル・ディスに帰って来る事」
「……おばちゃん」

ネネコの髪に触れる掌と、優しい笑顔に包まれて気持ちが溢れそうになる。
不安も戸惑いもあるが、こうして帰りを待つ、支えてくれる人達がいる。
それがどれだけ幸福な事であるか、言葉で説明は出来なくても感じる事は出来るのだ。

「約束するよ……きっと、帰って来るから」
「……よし。じゃあ、お家にお入り。
 出発は明日でいいんだろう?今晩はクリームシチューを煮込んであげるからね」
「うん!」

振り返れば、エルマーがネネコを見つめている。
空が暗くなれば、エルマーの瞳の光も綺麗に映るのだ。
東の空に浮かび始めた月の光と重ねて、まだ見ぬリウ・オゥを想うのである。


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