ネネコ・クローネルの冒険記
〜緑光輝の迷い子〜

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第四章(13)


ネネコ・クローネルは目を覚ました。

しかしどうした事か、身体の自由が利かない。
目の前が良く見えない。
物音が良く聞こえない。

身体を動かそうとしても、そこにあるはずの手も足も反応がない。
姿を確かめる事が出来れば確信も出来ようが、小さく頭を振る事も叶わない。
本当に、意識と身体がつながっているのか疑わしくもある。

曇りガラスを挟んで見通したかのような視界は、薄白い煙に包まれて映る。
近くにあるのか、遠くにあるのか解らないが火の中で空気が弾ける音が聞こえる。

焚き火か、暖炉か。

ひとつひとつを感じて、身体の中に染み込ませていくと少しずつ世界が見えてきた。
ぼんやりとしているがネネコが見上げているのは天井の木目だ。
視界の斜め下には暖色の光を発する照明が、輪郭を曖昧にして垂れ下がっているのか。

頼りない視覚と聴覚が働き始める中で、何かが額に被さってくる事を感じる。
額だけではない。ネネコの頭全体を包み、撫でられているのであろうか。

視界を映す事が出来ないため、誰が何をしているのかは解らない。
それでも、この感触と温かさに安堵感が広がってくる。
懐かしさを感じるのだ。得体の知れない何かに襲われているという恐怖心はない。

(あったかい……)

温もりの中でネネコは微笑む……事は、出来ていたのであろうか。
自身の表情が変わる感覚すらないのだ。

そうしていると、遠くに扉が開く音が聞こえてくる。
足音と共に軋む音から察するに、天井と同じく床も木で出来ているのか。
静かな空間の中に人の声が響き、誰かが会話しているものだと解った。

「ユウマさん、朝食の準備が出来たから……少し休んで」
「……大丈夫だ」

(えっ……?)

脳裏に突然と光が浮かぶ感覚、であろうか。
ネネコはこの声を知っている。
この声の主を良く知っている。

他の誰でもない、故郷で暮らすエナ・オプネスと父親のユウマ・クローネルだ。

「ネネちゃん、今朝は顔色が良いね……おはよう、ネネちゃん」

この声、この呼び方。
そして額に触れ、胸の上に感じる温かさは間違いなくエナの手の平だ。

(先生……先生?どうしてここにいるの……ここ?
 ここは何処……わたし、カサヤに帰ってきたの?……エナ先生!)

ネネコは声を挙げて返事をしたい、そして返事をした感覚でいるのだが
自身の声は決して聞こえてこない。やはり、口が動いた感触も生まれなかった。

「私が診ているから……貴方だけでも、食べなくちゃ」
「……ああ」
「ネネちゃんもいま、頑張ってる。
 ネネちゃんが目を覚ました時に、貴方が疲れ果てていたら……きっと悲しむわ」

ネネコが身をよじろうと、エナと父の姿を確認しようと苦心する中で
おそらくそこにいるのであろう、二人の会話が進んでいく。

(わたしが頑張ってるって言った……?
 パパは、何を……どうして疲れているの?どうして悲しいの?)

二人の声が一度途切れるが、一呼吸を置いただけのようだ。
聞こえてくるのは、父親の声である。

「エナ、正直に答えてくれ」
「うん?」

「ネネは後、どれだけ生きられる?」

(……?)

どれだけ生きられる?
何を言っているのか、何を話しているのか。
ネネコは元気だ。何も問題はない。

二人の会話の意味が解らないが、そこで沈黙と静寂が生まれてしまう。
話の続きが聞きたい。
かといって促す事さえ出来ず、ネネコはどちらかの言葉を待つしかない。

この空間に、重い空気が流れ始めたようだ。
ようやく口を開いたのはエナ・オプネスだ。

「私が医師として、ネネちゃんにしてあげられる事も……僅かだわ。
 いまはね、ネネちゃん……生きている事が不思議なくらいなの」

(生きている事が……不思議……)

「ネネちゃんは、生きたい、って……生きていたい、っていう気持ちひとつで
 いま誰よりも頑張ってる。だけど私、もう何も、してあげられる事……」

(あ……)

言葉が途切れてしまう。
二人がネネコの話をしている事は間違いなく、不可解なまま話が中断してしまう。

だがそれよりも、エナが泣いているのがネネコに伝わってきた。
理由も事情も解らない。しかし、ネネコの事が原因でエナが泣いているのだ。
ネネコの胸に、やるせない気持ちがこみ上げて来る。

(先生、先生……どうして泣いているの?
 泣かないで……先生、泣かないで!わたし、元気だよ!)

ネネコの言葉は決して届かない。
発する事さえも出来ないのだ。

戸惑いの中で、ネネコ・クローネルは涙を流した。

(先生、見て!わたし、なんともないの……
 先生はいっぱい、たくさんのものをわたしにくれたんだよ……先生、泣かないでよ……)

エナがネネコの事を思って泣いているなどと、耐えられるものではない。
しかし、二人の様子が伝わってくるのにも関わらず、
自身の言葉を伝える事すら叶わない葛藤にも耐えられなかった。

「すまない。ありがとう、エナ」
「ごめんなさい……ごめんなさい、ユウマさん」

もう一度、大きな手の平がネネコの髪に触れる。
父親の手の平だ。それは解るのだ。
感じる事は出来るのに、自分からは何も伝えられないのだ。

やがて人影の足音が遠くなると、扉が閉められる音が聞こえる。
立ち去ってしまった。

ひとりになってしまった。

(先生、パパ……どうして……わたし、ここだよ!
 ネネはここにいるよ……ネネは、いつも元気で……エルマーと一緒に……)

涙が止まらない。
置いてけぼりになってしまったのだ。

この心細さは他に例えようがない。
ネネコは四肢を振り回す。瞳を大きく動かす。口を開けて、泣き声を伝えようとする。
だがそのすべてが幻なのだ。

何も出来ない。
何も出来ない事がつらい。

(う、うう……せんせ、せんせ……ネネは……ネネは……)

助けて。
誰か力を貸して。
いますぐ起き上がって、いつもの様に先生の胸に飛びつきたい。

撫でて欲しい。
抱きしめて欲しい。
たくさん話を聞いて欲しい。

(うう、ううう……)

目の前が良く見えないのは、曇りガラスのせいか、涙のせいか。
苦しくて、切なくて、心の一欠片でも表現する事が出来なくて、つらいのだ。

「うう……あ……」

ようやく言葉を発せた事に、ネネコは気がついたであろうか。
片言で、嗚咽で、決して言葉であるとは言い難いものだ。
しかしはっきりと、ネネコ本人が発したメッセージなのだ。

「う……あ、あ……」

今度はネネコの耳にも届いてきた。
口はある。声を聞くための耳もある。
搾り出すように漏らす自分自身の声を、とても愛おしくも感じる。

そして先までは見つからなかった、待ち焦がれていた存在を確かめるのだ。

目の前に大きく広がるのは、薄緑色に輝く光の粒達。
絶え間なく輝き続け、緑光輝の光の粒がいつまでも零れ、溢れてくる。

「え……ゆま……」

光はネネコの傍まで舞い降り、身体全体を満たしていく。
この一体感を、他にどう例える事が出来たであろうか。
安心感、安堵感。優しくも暖かな感触がネネコの心を癒していく。

『おはよう、ネネコ。
 ぼくはエルマー。ずっとずっと、伝えたかったんだよ』

エルマーの声だ。
ネネコの心にはっきりと伝わってくる。

(おはよう、エルマー。
 わたしはネネコ。ネネコ・クローネルだよ)

いつか、エルマーと初めて出会った時に伝えた言葉を、再度口にする。
緑色の光はネネコの額から胸へ、そして四肢へと伝わり力を与えていく。
そしてネネコの身体には、鮮明な五感が宿っていくのだ。

緑光輝がネネコの中へと吸収され、次第にその色が褪せていく。
それでももう、ネネコは寂しさを感じる事はなかった。

カサヤにももうすぐ、春が訪れる。
桜が咲く日も、そう遠くはないだろう。

ネネコ・クローネルは、生きている。


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